ガラクタエッセイ

Yuta Kobayashi / ハヤシユウの活動記録、エッセイ。飽き性です。

恋愛について考える 第一部 完結編

そういえば、あまり大々的に報告したいわけでもないのですが、彼女ができました。彼女がいない時期が約3年続き、その中で自分の中でたくさん恋愛について悩み、考えました。

なにをそんなに悩んでいたのかというと、根本的な恋愛の「カタチ」についてです。前回の恋愛では苦しい思いもあったし、なかなか思い通りにいかないところもあったし、まわりの恋愛事情を聞いていても、お互い不幸せなところがある。

なぜ、幸せになりたくて恋愛している(付き合っている)のに、幸せになれていないのか?そもそも、付き合うとはなんなのか?実は世間一般的に言われている恋愛は、少数の人にしか適合しないんじゃないか?というところから、自分なりに色々と考えてみました。

恋愛についての考察に興味がある方は、カテゴリ「恋愛について考える」をご覧いただければと思います。

misashima.hateblo.jp

まあ、色々と書いてみたけど、ひっくるめて何が言いたいかというと、もっと自由でいいじゃない、というところに落ち着きます。テレビや雑誌やネットのメディア、まわりの友人のアドバイス、そんなところから知らず知らずのうちに恋愛の「カタチ」は正解のようなものが刷り込まれていく。でも、たくさんの人がいて、みんな別のところで育って、別の考えを持っていて、一つのカタチだけで当てはまるなんて信じられない。最近はLGBTQや、ポリアモリーなんて言葉も少しずつ前に出てきて、多様性は広がってきているけど、そういった言葉にもくくられない、微妙なセックスマイノリティだってある。そのゆらぎさえも広く認めて、もっと自由に恋愛すれば、みんなそれぞれのしあわせが手に入るんじゃないか。

大切なのは、自分に当てはまらないものを排除するのではなくて、へー、そういうのもあるのね、と受け入れてあげること。少数派を叩いてるだけでは、いつまでもたっても多様性は生まれない。多様性が生まれなければ、生きづらい人は生きづらいまま、声を上げることができない。

 

ああ、結局長文になってきてしまいましたが、冒頭の報告に戻りますと、そんな悩みの多かった僕に彼女ができました。選択肢はもっと多くていい、と常日頃から訴えていましたが、ステレオタイプな恋愛のカタチに落ち着きました。自分でもちょっと意外ですが、やっぱり考えていることと、いざ目の前に恋のドキドキが現れたときの感覚は、違うみたいです。考えているだけでは理解できないものがあって、それは直感とかノリみたいなもので自分の心にすっと入ってくるのだと思います。

 

(うーん。でもやっぱり、彼女ができる、って表現あまり腑に落ちない。好きな人と、恋に落ちました、くらいの感覚でしょうか。)

 

これから先、どうなっていくかわからないけど、お互いがしあわせに、楽しく暮らすために、また色々と試しながら、考えながら、過ごしていきたいと思います。