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ガラクタエッセイ

Yuta Kobayashi / ハヤシユウの活動記録、エッセイ。飽き性です。

むず痒くて、こそばゆい、対話をしたい

以前にも何回か書いているのだけど、僕は割りと女性性が強くて、あまり論理的に話すことが得意ではない。書くことなら、時間をかけることができるので、そこまで苦手ではないのだけど。

そんな僕も、ときには深く一対一、ないし少人数のグループで対話をしたいこともある。僕が楽しいなと感じるテーマは、恋愛、セックス、遊び、教育、子供、音楽、作曲など。本業が後ろに来てしまった。まあ、テーマは何でもよくて、何か深い話がしてみたい。

ただ、こればかりはわがままかもしれないけど、世の中の大半の人とはあまり深く話したくない。否、話すことができない。僕は自信満々の人や、正義感・主張の強い人、自分の価値観を100%信じている人と話すことができない。答えのある人とは、話すことができない。

(この辺はマブダチのゆきちゃんがうまく日本語にしていた。なんとなく悩んだり、なんとなく迷っている人が好きみたい。)

http://kometakublog.tumblr.com/post/144495348903/悩んで迷う君が好き

kometakublog.tumblr.com

「1+1」の答えについて議論するとき、「2」にきまっている、と言う人とは話が通じないのと一緒のことだ。もう少し柔軟に考えて、別の可能性を探って、新しい価値観を広げるような、そんな話がしたいのだ。多少お伽話やなぞなぞが入ったって構わない。大事なのは、自分の隙間を見つけて、疑ってみること、そうしたら新しい視界が開けてくるかもしれない。

ただ、自分に新しい価値観をもたらすことができるのは、自分ではない。他人だったり、映画や本だったり、新しい景色だったり、災害や危険だったり、外的要因である。その手段として一番楽しくて手っ取り早い(?)のが、他人との対話なのだと思う。

そこに答えがあれば、深まる話は何もなくて、ただ共感を求めるだけの時間になってしまう。答えはあるのかもしれないけど、答えは一つではなく、人の数だけ、もしかしたらもっと、存在する。

最近は人と深い話をする機会があまりないな、とふと思ってしまった。対話が足りていない。

深い対話をするとき、全てをさらけ出すというか、自分を丸裸にするような、むず痒くてこそばゆい感覚に襲われる。それが少し気持ちよくて、最初はめちゃくちゃ恥ずかしいのだけど、一回丸裸になってみれば相手も丸裸になってくれる。

仲がいいな、と思う人にはセックスやオナニーの話題でも振ってみればいい。相手が引かずにちゃんと対話をしてくれるなら、もうお互い丸裸だ。ちょっと体の内側から熱くなるような、そんな対話がしたい。