ガラクタエッセイ

Yuta Kobayashi / ハヤシユウの活動記録、エッセイ。飽き性です。

理性恋愛の枠組みと、感性恋愛について

  

僕の最近の悩み。
 
おそらく、「恋愛しよう」と思って、恋愛している人が大半の世の中で、別にこれは大した悩みじゃないのかもしれない。その一方で、一定数、「恋愛とか、今はいいや」みたいな人がぽっと結婚しちゃうこともある。僕は後者のような出会いに憧れがある。
 
僕の行動選択は、無理な力の掛からない、「自然」であるのものを選ぶようにしている。例えば、恋愛しようと思って、その人のことをリサーチして、近づくアプローチをして、告白して、というのは、力かけまくっているではないか。そんなことより、ただ普通に遊んでいたのに、知らないうちにすごく仲良くなっていて、なんかいい雰囲気になっちゃって、セックスしちゃった、くらいのほうが自然で好きだ。世間的に見ればふしだらと言われるのかもしれないけど、理性より感性を大事にしたい。
 
恋愛は、先人が築き上げてきた文化があって、それがテレビドラマや周りの人間関係で表面化されて、たぶんそれが正解なんだ、幸せなんだと思い込んで、知らないうちに行動を決められているのかもしれない。これは恋愛に限ったことではないんだけど、やはり前時代からの刷り込みがあって、縛られてしまうというのは往々にしてある。すべてが、自由だ。もっともっと、自由だ。
 
最近の僕はどうかというと、理性で考えちゃう癖がある。それが悩みなのだ。この子と恋愛したら楽しそう→仲良くなりたい→そのためにうんぬん・・・というシナリオを考えてしまう。
 
このブログに何回か登場しているマシュマロちゃんなんかは、感性タイプなのだ。ヨコシマな気持ちは抜きに会って
遊んでいたら、めちゃくちゃ意気投合してしまって、今も仲良くしている。遊んでいるときの充実度が高いのも、感性タイプかな、と思っている。
 
だからこそ、理性で考える枠組みに縛られた恋愛ではなく、そのときの感情に身を任せて、行き先は自分でも知らない、感性の恋愛をしたい。気をつけたいのは、感性恋愛はあまりタイミングが読めないから、ついつい焦ってしまい、結果的に理性の恋愛に走ってしまうことだ。もちろん、どちらが正解ということではない。僕の経験則上、僕自身は感性の自然な恋愛のほうが疲れず、楽しいと思っているだけのことだ。
 
恋愛という言葉も便利だから使っているけど、実際はそれが恋愛なのかどうかわからないような関係でもいい。幸せならなんでもいい。