ガラクタエッセイ

Yuta Kobayashi / ハヤシユウの活動記録、エッセイ。飽き性です。

理由は、だいたい、不必要

僕は、「理由」を考えるのが苦手だ。そもそも、行動や選択の根源に理由などあるのだろうか。

 

去年の12月、新潟県十日町市の住み開き古民家、「ギルドハウス十日町」に移住した。

普通に考えれば、山奥で雪も厳しい不便な地に引っ越すくらいなら、何か大きな理由があるに違いない。聞けば納得する腑に落ちる理由や、感動的なエピソードがあるかもしれない。

・・・と、多くの人が思っているからか、「なぜ移住したんですか?」ということを頻繁に聞かれる。

僕はそのたびに、過去の色々な行動を思い出して、(AとBが結びついたから、Cへ行って、Cへ行ったらDさんに会って、DさんにEを紹介してもらって・・・)と理由を考え、ストーリーのように話していたが、これはもはや理由ではない。流れだ。そういう流れがあったから移住しただけで、特に深い理由なんて無い。

 

「なぜ移住したんですか?」

 

という問いに、ストレートに答えるとすれば、「ノリとタイミングだった」くらいのものだ。「流れの中でタイミングが良くて、なんかその時の気分もすっきりしてたし、ノリで決めた」くらいの意味合いで、それ以上でもそれ以下でもない。

 

 

理由は、コトバにするのが簡単だから便利かもしれない。けれど、絶対に必要なものではない。あったらあったでいいし、なければないでいい。多くの選択は、きっとノリとタイミングで決まっている。

 

(お友達なちゃーんのTwitterプロフィール「人生ノリとタイミング」からコトバをお借りしました。)