ガラクタエッセイ

Yuta Kobayashi / ハヤシユウの活動記録、エッセイ。飽き性です。

セックスはしたいけど、わざわざするものでもない

住民の話が面白かったので、ブログ記事として残すことにする。

僕も彼も、割りと自由恋愛体質で、セックスは仲を深め合うコミュニケーションの手段として、合意があれば気軽にやっていい、という共通認識がある。

 

性の話に興味を持つようになってから、周りにも同じような考えの人が意外と多いな、という印象を受ける。セックスは「恋人とだけしかやってはいけないもの」ではなく、お互いに好きで、仲を深めたいときに一つの手段として、行うもの、という考え。また、単純に気持ちいいから、というのももちろんある。

 

これをひっくるめて、「セックスは幸せになるための一つの手段に過ぎない」と言うこともできるだろう。

 

そういう考えの人が増えているものだから、僕も気軽に声をかけてみようと、理解のある女の子にオファーしてみたのだけど、断られてしまった。

お互い大きな好意を持っていて、たまにそういった(添い寝とかしたいよね、みたいな)話をしていたので、OKがもらえると思っていたんだけどな。

 

で、ここからが住人の意見をいただいたもの。

 

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「セックスはしたいけど、わざわざするものでもない」

たしかに、自分もそうかもしれない。セックスはしたいと思っているけれど、わざわざ日時を調整して、移動して待ち合わせして、っていうのは面倒な作業だ。それならば、家でピアノ弾いてるなり、歌ったり踊ったりしている方が楽で楽しいかもしれない。

自分で「セックスしたいを気軽に言える社会をうんぬん・・・」とか言っておきながら、面倒な作業を超えてセックスするのはあんまり気軽じゃないな、と思った。

セックスをないがしろにするわけじゃないけど、もっと「ついで」の行為でもいいのかもしれない。

わざわざ「セックスをするため」にホテルに行くのは面倒、だけれども別の目的で二人が一緒に寝るような環境があれば、そのついでにセックスしやすくなるのではないか、という見解だ。

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という話をしていたんだけど、めちゃくちゃ共感した。

そういう意味で言えば、旅行もそうだし、シェアハウスだってその役割がある。酔った勢いとか、理性の崩壊、とかではなく、二人でちゃんと話し合って、考えが一致すれば、行えばいいし、そうでなければそのまま寝ればいい。なんてったってついでのことだし。

 

たぶん、最初に書いたような「セックスを気軽に楽しみたい」人は、表立っていないだけで、潜在的にはそれなりに存在していると思う。一方で、その気持ちを邪魔しているものが二つあって、それが前述の「わざわざ準備する面倒くささ」と、「社会的なプライド」だ。

「社会的なプライド」は、単に、(そうは言っても恋人でもない人とセックスをしている自分はふしだらなのではないか?)という感情だ。このあたりは冒頭の風潮が広がっていけば解決しそうだけど、まだまだ時間がかかりそう。