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ガラクタエッセイ

Yuta Kobayashi / ハヤシユウの活動記録、エッセイ。飽き性です。

気持ちよさにしたがう

恋愛について考える

気持ちいいこと。

  • アツアツのお風呂に入った後の冷たいコーヒー牛乳。
  • アツアツのお風呂の後のストレッチ。
  • コタツでみかん。
  • 外国人と英語でコミュニケーションできたとき。
  • ジェットコースターの浮遊感。スリルと気持ちよさ。
  • ピアノ弾いていて、ゾーンに突入する。指の動きとか意識しかしなくても勝手にするする動く。
  • バッティングセンターで球を芯でとらえる。
  • 我慢していたウンコをスカッと放出。おしり汚れないタイプ。
  • ブログの文章を途絶えずに書きたいことを書き切る。
  • 自転車で坂を下る。
  • 治りかけのかさぶたをとる。

気持ちいいことは世の中にたくさんある。生まれたからには、気持ちいいことをたくさん経験したい。楽しいとはまたちょっと違う。僕の感覚では、楽しいは理解できるけど、気持ちいいは理解できない。考えるというよりも、感じるのが「気持ちいい」で、より本質的なところで快楽を得ているのだと思う。

まあ、言葉の問題は置いておいて。

気持ちいいことは、どんどんやりたいよね。気持ちよくなりたい。気持ちよくなりたいのは、みんなの共通の考えだと思う。

 

ちなみに、「気持ちいいこと」で検索すると、お察しの結果が現れる。「気持ちいいことする」っていうと、「セックスする」と同義なくらい、「セックス=気持ちいい」が浸透している。セックスが気持ちよくないって人も中にはいるみたいだけど、単に相性が悪いだけじゃないかな、と思う。相性っていうのは体の、って意味もあるけど、お互いがどれだけ愛し合っているかで、気持ちよさはだいぶ変わってくる(と、本で読んだ)。

 

ここで一つ疑問がわく。

 

気持ちいいことは誰もが好きなはず。それなのに、「セックスがしたい」っていうと、なぜだかふしだらに感じる。気持ちよさを求めることは悪いことなのか?もちろん、そんなことはない。スカッとウンコを放出したところで、怒る人はいない。(あ、トイレの中なら、の話ね。)

もちろん、セックスしたところで怒る人だっていない。だけど、「セックスしたい」と公言することは、なぜか煙たがれていて、場合によっては非難をあびることになる。男はヤリマンと言われ、女はビッチと言われる。本人たちは、快楽に従っているだけで、何も悪いことはしていない。

 

この「セックスしたがっている人・している人」を非難する風潮は、そのほとんどが「妬み」から来ているような気がする。「ぼくはしたいのに出来ないけど、アイツはできている。ちくしょー。ヤリチンめ。」というような思い。

 

このねじれを解決するのは、「性にオープンな社会」だと思う。みんながみんな、性に関するアレコレを話し合って、共有する。セックスがしたい人は、したいと言う。みんなが言ってれば恥ずかしくなくなるでしょ。

もちろん、これを書いているということは、僕もほぼ常にセックスしたいと思っているので、そのつもりの方はお声がけください。できれば若い女性がいいです。

 

最後に、これは口を酸っぱくして言っていくつもりだけど、今の時代、「暮らし方」「働き方」はかなり多様化してきて、その情報も多く出まわるようになった。それに比べて、「性のあり方」に関しては遅れをとっている。まだまだこのテーマでは、頑固な人が多い印象をうける。それが原因で苦しい思いをしている人が多い。

「仕事が原因で鬱になる→働き方を見直す」という流れのように、「恋愛がうまくいかない→もっと幸せになれるつきあい方を考える」という流れが増えてくればいいな。

 

僕ももっともっとこのテーマに関しては、考え、実践していこうと思っています。