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ガラクタエッセイ

Yuta Kobayashi / ハヤシユウの活動記録、エッセイ。飽き性です。

葬式と喪中の文化がよく分からない

お葬式ってあるじゃないですか。僕は(ありがたいことに)まだ出席したことがないわけだけど。

いきなり話は飛ぶけど、たとえば、僕は信じていないけど、死んだ後も魂は生きていて、現実世界のことを見ることができるとする。仮に僕が死んだとして、葬式の場面を見ているとする。集まった人が黒い礼服に身を包んで、焼香したり、手を合わせたり、涙を流したりする。極論、僕はそれを見ていて嬉しいと思わない。ていうか主催者も参加者も面倒くさそう。

だから、僕は遺言にこう書いておくつもり。

 

「僕が死んだらお葬式は開かないでください。ただ、欲を言えば、仲良しの友達を集めて、談笑して欲しい。ていうかカーニバルしちゃってください。」

 

仮に死後の世界から現実世界を見れているとして、仲良かった人たち・お世話になった人たちがどっぷり悲しんでいるより、楽しそうにしている方が見ていて嬉しい。人はどうせみんな死ぬんだし。

そのよく分からない葬式で、べらぼうにお金をとっている、そのなんというかビジネス感も嫌い。自分たちで開催して、本当にスモールで、火葬だけお願いしてください。

 

そういえば、吹奏楽つながりの先輩(2コ上?)が、去年の秋ごろ亡くなった。そこまで近い関係ではなかったけど、一緒にステージに上ったこともあるし、驚きを隠せない。

葬式は普通に行われたんだけど、今度、その人を偲ぶ会が吹奏楽関係者で行われる。一緒にステージに立った人たちで、故人の思い出の曲を演奏したり、思い出話に花を咲かせたりする。

これこれ!!と思った。案内が来たとき、たぶん僕もこういう鎮魂のカタチを求めているんだ、と思った。

僕も音楽が好きだから、葬式の代わりに、フェスでもやってくれ。僕の好きな曲を演奏してくれ。めちゃくちゃ楽しんでくれ。ときたま思い出も話してくれ。僕はそれをえーっと・・・(信じてないけど)死後の世界から見守りたい。

葬式の話終わり。

 

喪中もよく分からない。年賀状出すシーズンになると、「今年は喪中なので寒中見舞いにて失礼します」という文章をあちこちで見かける。前年に身内が亡くなると、新しい年を祝ってはいけないのか?すごく不思議に思う。

逆に、新しい年になったし、切り替えていこう!とはならないのかな。ここらへんは気持ちの問題だろうか。

喪中を知らずに年賀状を出してしまった場合、前述のように寒中見舞いが後で送られてくるわけだけど、すごく申し訳ない気持ちになる。こちらの「Happy New Year!!」のテンションと、向こうの「寒中見舞い申し上げます。」のテンションの差。

喪中って、調べたところ、明治時代の法律で定められていたらしい。期間は定まってなかったんだけど、郵便の都合で一年間になっていったみたい(と、知恵袋に書いてありました)。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

ここにも書いてあるけど、喪中の文化は割りと曖昧らしくて、今後減少していくんじゃないかなーと思います。

僕個人の意見としては、葬式も喪中もいらないと思う。まだ近しい人が亡くなってないから、実感が無い、っていうのもあるのだろうけど。